ポートレート(肖像画)というのは、身体的な類似性を忠実に再現しつつ、私たちの顔を表現したものだという確信に、私たちは慣れてしまっている。プロジェクトのこのパートを開始するに当たり、他のアーティストたちとのミーティング中、このテーマをより広く網羅しようという結論に至った。ポーランドと日本からの参加者に、彼女たちの日常体験に関するアーティファクトをいくつか用意してもらった。それは生活ルーティンに付随するもので、しかも特別な感情を呼び起こし、自分に近しいものだと感じるお気に入りの、特に大好きなものにしてもらった。後にポートレートを製作するに当たって、大変重要な要素となったのは、そのモノに付随してお互いに語られた物語だった。リモートで会い、植木鉢や包丁、刺繍、箸などいろいろなモノについて話をした。私たちは別々の国の、別々の町に住んでいるので、モノやそれらに付随する物語は、一人歩きを始めた。そのうちの一つは、グダンスクから私の元へとたどり着き、聞いた物語に沿って、ポーランドからの参加者のモノに関するミクロ・ポートレートを描き始めた。ポーランド側の物語とモノの対話において、アイヌ女性たちは日本から、自分たちのアーティファクトを用意し、ポーランドへ送ってくれた。それらがワルシャワの私の仕事場に届くと、聞いた物語に沿ったポートレートを作成する全過程を繰り返した。
こうして、集められたモノや物語、顔のパートから様々な体験へと手を伸ばし、それぞれの女性のすっかり完成したポートレートを作り上げた。
[ベアタ・ソスノフ スカ]
[作品の写真全てはカロリナ・ユージヴィアクが撮影しました。]
猫の毛
クリ − 私の大好きな青目の雌猫である。
そのピンク色の舌は女の陰核を連想させる。
日本語でクリトリスとも言える。
[カタルジーナ・パストゥシャック]










根
その根は、私の水族館、
つまり私に動作や定期性や優しさを教え
るその魅力的な水中の世界に住んでいた。
その水中の世界は、バルト海の生態学
に一生をかけた母のエルジュビェタとの
繋がりでもある。
[カタルジーナ・パストゥシャック]
この乾燥した葉は気仙沼市で、
海岸から数百メートル離れていた木から
取ったものである。2011年3月に津波の
水は40トンの岩をその海岸に流された。
水中地震のきっかけで起こった津波は気
仙沼などの海岸都市の広い面積を流れ、
人家を破壊し、地形を変更した。私は北日
本を旅行していた時に、2011年の大震災を
体験した方々からその人生の危機的な瞬
間の思い出を数多く聞かせていただいた。
彼らは、日常の生活へ強力に流れ込んでし
まった「水」をいかに覚えたのか。
[カタルジーナ・パストゥシャック]


今年の最後のキノコ狩りの外出から持っ
て帰った木の部分である。菌糸体や晩秋
の濡れた森の匂いをしている。
渡す時にまだ湿っている。
このような環境の部分を持って帰って、家に並べる。
懐かしいことを思い出してくれる。
[ナタリア・ヒリンスカ]





紙の構成を検討すると停止する。
コラージュを作り始めた時にそれを発見した。
四方八方から紙を浴びる – 紙を見つめ、移し、
くしゃくしゃに潰し、破る。しばらく消える。
日本からの切手 – 札幌のマサさんの家が懐かしい。
[ナタリア・ヒリンスカ]


自分で作った接触マイクの部分である。
このマイクが伝える振動を聞いたり、
音の物質性を実験したりするのが好き。
私は音との身体的な関係に引きつけられ、
動かされる。
[ナタリア・ヒリンスカ]



犬の胸像
7ズウォティから5ズウォティに交渉した。
それを見るのが好き。
たまにその温かい目つきは満足できない。
[ジョアンナ・ボロフ]



ナイフ
芋の皮をむくために不可欠である。
よく手に合って、細長い皮が剥ける。
使う時に親指が痛くない。
[ジョアンナ・ボロフ]




花がある部屋に時間を過ごし、
花に浄化された空気を吸うのが好き。
花は実家も思い出させる。
自宅に花が多すぎる。
[カロリナ・ユジヴ ィアック]


ルビアナ村からのカシュブ模様のお皿は私の
職業の生活を象徴する。グダニスク医学大学
と大学病院で栄養学を教える。
このお皿は私にとって、良い味、良い食べ物、
ビーガンであること、
また1998年からカシュブ地域の首都のグダニ
スク市に住むことの象徴でもある。
[アレクサンドラ・スリヴィンスカ]


黒いドレス(芸術的な生活)-「遊牧の女」
の初演からの衣装である。
2017年に丸山博教授の招待でアマレヤシアタ
ー&ゲスツと共に札幌へ旅立ったその時に、
私のアイヌの女たちとの女性史が始まった。
[アレクサンドラ・スリヴィンスカ]


フェイスクリームの容器(個人的な生活)
- 親密な自分の時間である。顔にクリームを塗る
という朝晩の儀式で1日を始め、1日を終える。
グダニスク湾の眺めや植物の香りやちょっとし
た休息に伴って、容器のクリームはバックルの
ように始まりと終わりを結び付ける。
[アレクサンドラ・スリヴィンスカ]


子どもの頃から時計は私の傍にあった。
それに、子どもの頃から時の経過を強く感じていた。
時計が壊れると、それを分解して直そうとしたものだった。
うまくはいかなかったけれど。
壊れた目覚まし時計も集めていた。
怒りっぽかった父が時々壁に投げつけたものだ。
散らばった部品を見つけては、
目覚まし時計を新たに組み立てようとした。
これもうまくはいかなかったけれど。
いくつになっても、
時計のチクタクという音を聞くだけで、
心が安らぐ。もう十代の頃から時計を腕に抱き、
耳に押し付けたまま寝るのが好きだった。
規則的なチクタクという音に耳を傾けるのが好きだった。
時計に狂いがないかを調べ、
毎朝ネジを回す、という時計を使った“儀式”が好きだった。
電化製品が世の中に広く出回るようになると、
電池の許す限り聞こえる、
秒針のチクタクいう音だけが残った。
チクタクといえば、田舎の祖母の家にあっ
た壁掛け時計のボーンボーンという音もそうだ。
30分になると一つ鳴り、時間きっかりになると、
その時間の数だけ鳴る。今私が怖いのは、
ラジオやプラスチックの小さな箱に
取り付けられたデジタル時計の静けさ。
[ベアタ・ソスノフ スカ]


旅をするのが大好きだ。
そんな旅の中で、
大西洋とその自由奔放なところに恋してしまった。
広大な海を見つめ、波を観察するのが好きだ。
いつも旅の途中で見つけた形あるものをお土産に持ち帰る。
この貝殻こそが、そのうちの一つ。
[ベアタ・ソスノフ スカ]


コーヒーは、一日の始まりにあるもの。
長く、時にもう忘れてしまった眠りから覚めた思考。
味と香りの思考的体験。
このコーヒーカップは、
コーヒーを飲むという快楽のシンボル。
[ベアタ・ソスノフ スカ]