アシカ・ボロフ(Aśka Borof)
グダンスク芸術大学卒業。グダンスク市文化助成金受賞。何年も前から、民俗芸術・民族舞踊に情熱を注ぐ。合唱団「Trzycórki」共同創始者。現在は「Odłam ŹdŹbło」と改名。伝統と民俗行事に関する歌とパフォーマンスに携わる。
自身の作品で、ファッショントレンド(絵画シリーズ『バスの少女たち(Dziewczyny z autobusu)』)、妊婦に関する迷信(切り絵)、民俗習慣(刺繍)、環境の悪化(タペストリー)、グルキ・ザホドニェ(Górki Zachodnie)に住む人々の生活を紹介している。
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ナタリア・ヒリンスカ(Natalia Chylińska)
アマレヤシアター&ゲスツ所属のアーティスト、アマレヤ・アート・アソシエーション(Amareya Art Association )副会長。グダンスク市助成金を2度受賞。身体・動作、テクスト、音響・視覚素材の間を行き来するアート活動を行う。最近のスペクタクル、プロジェクトは『家-逃亡-家(Home-Flight-Home)』(2020年)、『(残)響 ポーランドと日本に架ける橋((Po)głosy. Pomosty między Polską i Japonią)』(2019年、監督:K・パストゥシャク、音楽:ナタリア・ヒリンスカ)、『舞踊の一環で:ヴジェシュチュ(W ramach tańca: Wrzeszcz)』(Fundacja Polka dot)、『プロセスの解剖学(Anatomia procesu)』(グダンスク市文化助成金の一環として)、『見えない街3.0(Niewidzialne miasta 3.0)』、パーキンソン病患者のための運動ワークショップ、Amareya_LABワークショップ。メノコモシモシ(札幌アイヌ女性会議)や丸山博教授(「環境とマイノリティ」政策研究センター(Centre for Environmental and Minority Policy Studies (CEMiPoS))、札幌)と協力して、アイヌ女性が参加するスペクタクルを共同制作。
シモン・グレジュクは
日本学科の卒業生および比較地域文化学科の博士である。特に日本列島の
周辺にある琉球人とアイヌの文化や異文化交流史や海と文化の関係に興味を持つ。与那国の海底
遺跡やベニョフスキ伯爵の航海から生じた国際的伝説や沖縄の組踊などを研究していた。
カロリナ・ユージヴィアク(Karolina Jóźwiak)
ビジネスとアートを組み合わせた作品を作り上げる、フォトグラファー。ワルシャワ大学で哲学を専攻。ニューヨークの国際写真センター(International Center of Photography)でも学ぶ。専門は、ドキュメンタリー写真、ポートレート写真、舞台写真、映像写真。写真のメインテーマは“人間”。その性質を観察し、同時に、時の流れを記録しようとする。写真を撮りながら、歓喜と郷愁を体験。その結果、彼女の写真は、視覚的記憶を作り出す試みとなっている。
ワルシャワのドラマチックシアター(Teatr Dramatyczny w Warszawie)、ビドゴシチのポーランド劇場(Teatr Polski w Bydgoszczy)、Strefa Wolnosłowa(社会貢献のための芸術活動をする財団)、Komuna/Warszawa(劇場に携わる文化施設)、Festiwal Ciało/Umysł(国際舞踊芸術フェスティバル)、RMF FM(ポーランド最大のラジオ局)と仕事をする。
有名な文化人やアーティストのポートレートの撮影という、もう一つの側面も持つ。マヤ・コモロフスカ(Maja Komorowska)、ハリナ・ワボナルスカ(Halina Łabonarska)、ダヌタ・ステンカ(Danuta Stenka)、ピョートル・フロンチェフスキ(Piotr Fronczewski)、アルトゥール・アンドルス(Artur Andrus)他、ポーランドの最年長ドラッグクイーン、ルラ・ラ・ポラカ(Lulla La Polaca)などの信用を得ている。
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加賀谷京子
アイヌの祖先をもち、現在は札幌に在住。2歳8ヶ月まで孤児院で育てられたが、その後、日本人夫妻の養子となった。短大卒業後、長い間、障害者支援の施設で働いた。50歳の時に一人のアイヌ女性と出会い、自身がアイヌであることに気づいた。それ以降、アイヌの歴史や文化、すなわち、踊り、歌、刺繍などを学び、今ではアイヌの衣装を自分でつくることができるようになった。アイヌ料理を作るのが得意。2018年、国際スローフード教会がイタリアのトリノで開催した国際イベントでアイヌ料理の紹介に関わり、2019年、カタルジーナ・パストゥシャックとナタリア・チリンスカ監督の「(残)饗:ポーランドと日本に架ける橋」に参加。
松平亜美
アイヌの子孫であり、現在、札幌市の札幌アイヌ文化交流センター、通称ピリカコタンの職員である。物心がついたころから母についてアイヌの伝統的な歌や踊りを披露するイベントに参加してきた。2017年、カタルジーナ・パスツゥシャックの誘いでアマレヤ劇団とゲストに加わりノマディック・ウーマンの舞台に参加。2018年には三つの国際的なイベントに参加し、今日につながる大きな経験をした。1月はアイヌとハワイの先住民族との青年交流事業でハワイの先住民族と交流。9月はイタリアのトゥーリンで行われた国際スローフード協会主催のテッラ・マードレでアイヌ料理を披露。10月はアマレヤ劇団とゲストのメンバーとしてノマディック・ウーマンのパーフォーマンスをポーランドのクラコウ、ポズナン、グダンスクで演じた。
楢木貴美子
樺太アイヌの祖先を持ち、現在は札幌に在住。第二次世界大戦直後、両親は同胞とともにサハリンから北海道に強制移住させられた。50代になってはじめてアイヌであることを名のり、生計のために刺繍をはじめた。それ以降、樺太アイヌの刺繍の復元を先駆的に進め、工芸家の間でも認知されるようになった。また、アイヌの伝統楽器であるムックリやトンコリの演奏を得意とし、アイヌの伝統食材の採集にも熱心である。樺太アイヌ協会の副会長及びアイヌ女性会議の役員を務める。2018年、カタルジーナ・パストゥシャック監督によるパフォーマンス「アイヌモシリーアイヌの生まれた場所、アイヌ女性の物語」、2019年、カタルジーナ・パストゥシャックとナタリア・チリンスカ監督の「(残)饗:ポーランドと日本に架ける橋」に参加。2020年、樺太アイヌ刺繍のタペストリーが国立民族学博物館に所蔵され、2021年には別の作品が同博物館に所蔵される。
ピョートル・ニコフスキ(Piotr Nykowski)
フォトグラファー、舞台照明ディレクター、ミュージシャン。主にシュチェチン現代劇場(Teatr Współczesny w Szczecinie)に所属し、ほぼ全てのスペクタクル、ワークショップ、アート事業の写真撮影、上演予告映像の準備、イベントのビデオ録画を任されている。フェスティバル“Festiwal Kontrapunkt”のメインフォトグラファー。ポーランド全国の公共劇場(ポズナンのポーランド劇場(Teatr Polski w Poznaniu)、オポーレのコハノフスキ劇場(Teatr im. Kochanowskiego w Opolu)、クラクフのスウォヴァツキ劇場(Teatr im. Słowackiego w Krakowie)、ビドゴシチのポーランド劇場(Teatr Polski w Bydgoszczy)、シュチェチンのおしゃべり劇場(Teatr Pleciuga w Szczecinie)、シュチェチンのカナ劇場(Teatr Kana w Szczecinie)など)及び、ヨーロッパ中の公共劇場他、民間劇場からも定期的に依頼を受けている。ワルシャワのラシェフスキ劇場研究所主催、舞台写真分野でポーランドで最も権威のある、第三回舞台写真コンクールにおいて、「舞台写真ザ・ベスト・オブ・シーズン」カテゴリーで特別賞、そして「記録写真シリーズ」カテゴリーで最優秀賞を受賞。審査員には、「スペクタクルを追う方法が、独創的で一貫性があり、実に個性的であった。完璧に構成されたフレーミング、舞台上の雰囲気や感情を記録する能力にたけ、さらに観客の中でそのような感情を目覚めさせる才能が感じられる」と評価された。共に作った音楽バンドMarry No Waneでベーシストを務める。2016年には『第一章(Rozdział pierwszy)』というタイトルのCDをリリース。街のイベント、建築、風景(特に西ポモージェ地方)を題材にしたドキュメンタリー写真や、ストリート写真も撮影している。自身の作品で、真の感情を表現しようとし、空間の欠陥や亀裂を発見しつつ、フレーミングを構築しようとし、明白ではないもの、一目見ただけでは目に映らないものに焦点を当てようとしている。
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カタジナ・パストゥシャク(Katarzyna Pastuszak)
ダンサー・パフォーマー、アマレヤシアター&ゲスツ監督・劇団長、グダンスク大学英米研究所舞台芸術研究科准教授、札幌「環境とマイノリティ」政策研究センター(CEMiPoS)准教授。著書に、『土方巽の暗黒舞踏 ― 危機に瀕した身体演劇(Ankoku butō Hijikaty Tatsumiego - teatr ciała-w-kryzysie)』(クラクフ、Universitas、 2014年)がある。2008年から定期的にポーランドと日本にて、日本のアーティスト達と共にアートプロジェクトを制作。最近のスペクタクルに『家-逃亡-家(Home-Flight-Home)』(2020年)、『(残)響 ポーランドと日本に架ける橋((Po)głosy. Pomosty między Polską i Japonią)』(2019年、監督:K・パストゥシャク、音楽:ナタリア・ヒリンスカ)、『四(Cztery)』(2018年、監督:M・ヘリフ(M. Herich)、A Partシアター・アマレヤシアター共同制作)、『スイカを食べる死者(Deadman Eating Watermelon)』(2018年)、『カントル-手がかり:COLLAGE(Kantor_Tropy: COLLAGE)』(2016年、監督:K・パストゥシャク)、『ノマドの女(Nomadka)』(2012年)がある。パストゥシャクのスペクタクルは日本、グリーンランド、ノルウェー、トルコ、イスラエル、ドイツ、フランス、ロシア他、ポーランドの多数フェスティバルにおいて上演されてきた。2017年からはメノコモシモシ(札幌アイヌ女性会議)や丸山博教授(「環境とマイノリティ」政策研究センター(Centre for Environmental and Minority Policy Studies (CEMiPoS))、札幌)の協力を得て、アイヌ女性が参加するスペクタクルを共同制作。
斎藤芳子
樺太アイヌの子孫で札幌在住。母は楢木喜美子の一番上の姉。50代になって初めて樺太アイヌの子孫であることを自覚。アイヌの衣装やバックを縫っているとまるで自分のアイヌとしてのアイデンティティを辿っているような気持ちになり、心地よい。2011年と2019年、樺太を訪れ、先祖の墓参りをしたり、自分のルーツについて学んだりした。2018年以来、アマレや劇団との共同プロジェクトにメノコモシモシの一員として加わってきた。
ベアタ・ソスノフスカ
は学際的な芸術家である。自分の活動で人間と時間と社会的過程の接触に関する興味を示す。業績にはWRO’05国際メディアアート・ビエンナーレ、グダニスク造船所、ジェロナ・グラ芸術展示局、Żak美術館、ポズナンのマルタ・フェスティバルにおけるジェネレーターなどで演じたパフォーマンスがある。現在は漫画という芸術およびコミュニケーション方法を探究している。女囚人や高齢者やLGBTQ方などの社会的に除外されている集団を対象に漫画ワークショップを実行している。『地方手帳』、『性別なし。婦人参政権の歴史。』、『なぜか尋ねる』、『創造』という前10年間の作品集などの著者である。NGOおよびフェミニスト団体と協力している。
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スプリスガルト友美
翻訳家、エッセイスト。東京外国語大学外国語学部ロシヤ・東欧語学科ポーランド語専攻卒業。国立アダム・ミツキェヴィチ大学(ポーランド、ポズナン)ポーランド文学部文化的ポーランド学科修士課程修了。ポーランド文学翻訳に従事するほか、ポーランド文化に関する寄稿多数。アジアにおけるポーランド学に関する論文執筆。2001年よりポーランド、ポズナン在住。ポーランド国立グダンスク大学東アジア研究所所属。
アレクサンドラ・スリヴィンスカ
は、舞踊家、芸人、アマレヤシアターの共創立者と芸術家、医学博士、グダニスク医学大学の講師、アマレヤ芸術協会の副会長である。協会の活動として、ポーランド・日本・アイヌの共同芸術プロジェクトを実施している。少数民族や視覚障害者や中毒者の方々が参加した舞踊且つ演劇プロジェクトも指導した。彼女にとって創造的活動というのは、相手との出会い、また自分との出会いでもある。それは世界の女の女性史で、彼女たちと踊ったり、動いたり、歌ったりすることによって、一緒に自分の体験のもろい層を触って、独自の表現によりその体験を共有することである
多原良子
アイヌ女性会議「メノコモシモシ」の創設者で代表であり、札幌アイヌ協会の副会長も務める。1951年にアイヌモシリ(後に北海道)、鵡川町のモイペット・コタンの有力なアイヌの一家に生まれた。その後、約20年にわたり、札幌市の生活相談員を務めた。2003年、国連の女性差別撤廃委員会にアイヌ女性として初めて参加し、アイヌ女性の声を国際社会に届けた。2009年と2016年には、女性差別撤廃委員会でメノコモシモシのメンバーとともに行ったアイヌ女性の実態調査の結果を報告した。2017年にアイヌ女性会議を創設して以来、二つの国際プロジェクトに関わってきた。ポーランドのアマレヤ劇団との共同公演と国際スローフード協会のテッラ・マードレでのアイヌ料理の紹介である。なお、パリ郊外のブロニスワフ・ピウスツキのお墓を訪問したり、色丹島にアイヌとして初めて同胞のお墓を慰霊した経験もある。
藤野知明
1966年、札幌生まれ。北海道大学農学部卒。日本映画学校映像科卒。
映画学校在学中にサハリンの先住民が日本とソ連(現ロシア)双方から第二次世界大戦の前後に受けた人権侵害に関する短編ドキュメンタリー「サハリンからの声」(1996年)の制作に参加した。アイヌの遺骨返還闘争やサケ漁の権利回復などについて短編、長編のドキュメンタリーを制作してきた。最近の作品には、「とりもどす」(2019年)、「カムイチェプ サケ漁と先住権」(2020年)、「アイヌプリ埋葬 2019 トエペッコタン」(2021年)などがある。なお、ヴァルデマル・チェホフスキ監督の『ピウスツキ・ブロニスワフ〜流刑囚、民俗学者、英雄〜』の制作過程でアイヌ民族博物館の山丸郁夫氏のインタビュー撮影を手伝った。
丸山博
室蘭工業大学名誉教授。研究の主眼は、かつては地域住民が自然開発を巡り行政と対立しながら社会正義、地方自治、持続性を求める闘いにあった。2006年、フィンランドのオウルで行われた北方圏研究フォーラムに参加して以来、フィンランドのラップランド大学の北極圏研究センターとスウェーデンのウプサラ大学のフーゴ・バレンティン研究センターを拠点に、比較先住民族政策学に打ち込んできた。その間、国際的な出版社から多くの英語論文や著書を出版してきた。2016年12月、学術的な活動を通して周辺に追いやられた人々を支援し、権能を与えるべく環境とマイノリティ政策研究センター(CEMiPoS)を設立。近年、植民地主義、人種差別主義、女性差別主義の撤廃を目指し、国際的な研究者やアーティストと 積極的に共同研究、共同活動をしている。2016年にウプサラ大学から名誉博士号を受ける。